悪口は社会貢献である理由と事例と、誰かにとっての正しさと。

ほぼ1か月ぶりの更新である。

そんなことはどうでもよいのであるが。

ちまたではよく言われる。悪口はダメだと。

本当にそうなのか?私はそうは思わない。誰かに悪口を言うのは誰かにとって有益になると確信している。

私にとっての悪に対して、悪口を言うのは誰かにとってプラスになると信じているからだ。それはある意味証明できないし、ただのオナニーであると自覚している。

まずは私のスペックを定義してみよう。

私は別にたいして賢くはない。

たいして社会的地位もないし、たいして稼いでもない。

ただの普通の人間である。

では私が参考にしている人物をあげてみよう。

ちきりん、とつげき東北、ショウゴ、勝間和代、武田邦彦、chiba、立花孝志、メンタリストDaiGo、ホリエモン、オリラジ中田、鴨頭さん。

私にとってはそうそうたるメンバーである。

非常に賢くて、知的で、尊敬できるし近づきたいと思う。

私は凡人なので彼ら賢い人間の言うことを信じる。

では私より情弱なバカどもは誰を参考にしてしまうリスクがあるのでしょうか。

私の嫌いなイケハヤ、はあちゅう、えらいてんちょう、やまもとりゅうけんなのである。

私個人の感想であり、感覚であり感性である。

おおよそ世の中に正しさなど存在はしない。

私が正しいとか賢いとか思っている上記の人物は、私にとってそうなだけである。

それと同様に他者にとってはイケハヤややまもとりゅうけんは神なのかもしれない。

その差をどう定義し、どうとらえるべきなのであろうか??

私達くっそ凡人のとるべきコスパの良い方法はなんなのだろうか?

私の答えを言う。それは、自分がいろんな情報に触れ、自分が誰を信じるか、誰を正しいと思うか決めるべきであると。それこそが凡人ができる最低限の努力やセンスではないだろうか。

私もみなさんもほとんどそうなのだが、例えばちきりんよりも鋭い洞察ができるのであろうか?

新宿ナンパ大戦争のチバさんのすごさ、ストイックさを越えれるのだろうか?

武田邦彦のように科学的に歴史や現代を語れるのであろうか?

とつげき東北のように死ぬほど賢くなれるのであろうか?

勝間和代のようにマネーリテラシーを身につけれるのであろうか?

全て無理である。傲慢である。

いや、われわれ凡人には絶対に無理なほど才能も努力も忍耐さえかけ離れている。

では、その彼ら彼女らの言うこと、主張、正しさをわれわれ凡人はただマネしたり、影響を受けて行動を変化させることが結局自分の為になるのではないだろうか。

そんな私の思う正しさなどは証明のしようがない。

だからこそ少しでもいいので情報収集して、目隠しで信じるべき人間を何人でも確保すべきなのである。

そうして初めて自分の意見らしき凡人のたわごとが発信できるのだ。

いい加減自分の意見というクソ凡人のオナニーを卒業しよう。

われわれ凡人は決して自分の頭で考えることは必要がない。

超賢い人を見つける、見極める作業にこそ労力を割くべきなのでる。

そういう意味で、私はイケハヤ、やまもとりゅうけんを批判している。

やまもとりゅうけんは私にとってダサいだけであり、他者にとっては良い情報提供者なのかもしれない。そんなこと、誰が正しいかなどなんの問題でもない。

ただ、私はりゅうけんが気持ち悪いだけなのである。

私の尊敬する方々とは違うのである。

そんな各個人の正しさを定義するモノサシ、それを研ぎ澄ませること、それこそが凡人にとってせめてもの義務なのではないだろうか。

賢く生きる術ではないだろうか。

バカはある意味素晴らしい、同時に非常に愚かである。

私はバカで結構である。ただし、すばらしい人をすばらしいと自分のモノサシだけは他者より研ぎ澄ませたいのである。

だって、私は彼らのように素晴らしい人間ではないのだから。

自分の頭で考えるより、自分が素晴らしいと思う人の意見や行動をマネした方が自分が得すると確信できるからだ。

誰を尊敬するか、しないか、近づこうと努力するか、しないか、そんなことを考えるべきであり、決してバカのクセに傲慢な意見を主張しないでおきたいものである。

そんなことを自覚する方法はただ一つ、色んな情報に触れることである。

どんな愚かな情報でも、それしか浴びなければそれに染まってしまうから。そうでなくても、そんなリスクがあると思っていたいから。

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